マリン歯科は横須賀市久里浜の歯医者さん。インプラント・歯周病治療など。

046-833-3838
歯周病治療センター横須賀|久里浜・マリン歯科監修

診療Dr.マッキーの想い

本気で歯を治したい方へ
歯科医としての原点
ボランティア医師への道
震災ボランティアでの経験
今後目指す方向性

スリランカ・スタディ・ツアー

絆ジャパンの笠原代表の計らいにより、大好き日本お助け歯隊の活動の一つとしてスリランカ・スタディ・ツアーに行ってきました。

活動の詳細はこちら

Dr.マッキーのボランティア奮闘記

2011年3月11日の東北大震災を目の当たりにし、ボランティアチーム・大好き日本お助け歯隊を作り活動を続けています。

活動記録の詳細はこちら
初診の方へ
久里浜地域密着情報
スタッフ募集
セミナー・講演活動
国民保険制度と歯科医療について
マリン歯科クレド
患者様アンケート
アンケート回答
マリン歯科携帯サイト

歯科医としての原点

ホーム > 歯科医としての原点

Drマッキーができるまで

歯科医師の枠にとどまらず、セミナーや講演、ボランティア活動など幅広く活躍するDrマッキー。どのようにして現在の歯科医の姿となったのかをお話しいたします。

Drマッキーの変遷〜歯科医としての原点〜

Drマッキーこと私、巻幡真誼は、昭和33年11月4日に生まれ、瀬戸内海に浮かぶ周囲約30kmの因島で育ちました。 高校時代、船通学に憧れてわざわざ隣の島に部屋を借り、船に乗って自転車通学をしていました(同高校の後輩に、女優東ちづるさん、ポルノグラフィティがいます)。
その頃流行った中村雅俊の学園ドラマの影響で、学校の先生になりたいと思い、先生にもなれる北海道の薬大に入りました。 次第に手先を使って人の役に経つ職に興味をもちはじめ、「そうだ。歯医者になろう!」と考えるようになりました。

昭和59年12月29日、この日4本の指の指を失いました。 冬休みに、実家で父と落ち葉を拾って掃除をしていたところ、手をかけた石がぐらつき転倒した為です。右手の先からひどい出血で、救急車で病院に運ばれ、医師から4本の指が切断されていると聞くまで、いったいどうなっているのか分かりませんでした。

また、その時の医師の態度がとても高圧的で、「切断された指の切断面が砂等で汚染されているから、そこから腐敗してきて更に短く切断しなくてはいけないかもしれない。しかし、それでも指をつけたいかを決めてほしい!」と追い立てられ、まるで警察に尋問されているようでした。 その時、私は「よし、人の心のわかる歯科医になろう!」と本気で決心したのです。

大学では多くの同級生や先生によくして頂きましたが、なかには「卒業したらお前もペーパードクターだな」と言ってくる人もいました。それで私は「今に見返すぞ」と思い、故小野先生(横浜)、中平先生(今治)、香川先生(堺)のご指導のもと、技術を学び、両手を使っての診療を可能にしたのです。

勤務医時代は、右手指先4本を失っているハンデを意識させない為、 他の勤務医がタバコを吸う・コーヒーを飲む・雑談していても、売上で負けないように、休憩も取らず診療室に立ち続けました。

お陰様で、卒後3年で横須賀市久里浜に巻幡歯科医院を開業させて頂きました。開業してからも周囲から「好調だね!」「スゴイね!」との言葉をもらうために奔走していました。とにかく一人前の歯科医として認めてもらいたく、まず数を追っかけていた時期でした。また、下記のペースで立て続けに分院を出していきました。

1990年10月 横須賀市久里浜 【巻幡歯科医院】
1991年09月 横浜市桜木町 【ノグ桜木歯科】
1992年10月 千葉県八千代市勝田台 【八千代歯科】
1993年06月 横須賀市久里浜 【マリン歯科】

結果として、患者さんにも恵まれ、「巻幡は一人前の歯科医になった」と認めてもらえたと思います。しかし分院間を行き来していて、全く休みのない生活を続けたためか、過労でフラつくようになり点滴を毎朝打ちながら出勤していたこともありました。

H5年から受講していた大阪の川村泰雄先生との出会いです。「一本の歯に興味をもつのではなく、その人自身に興味を持ちなさい」という、先生の言葉に私は震え上がりました。
先生の講義を聴きこむうちに、目先のことに囚われず、原点に戻って人間を診る歯科医、質の高い歯科医療をやろうと決心しました。これが、マリン歯科の原点です。 分院を持つことがその進歩を阻むと考え、次々と手放し、横須賀市久里浜のマリン歯科のみにしました。

質の向上の為、毎週末はセミナーの受講をしていました。

逆に休日にセミナーの予定がないと遅れをとっている気がし、 ワーカーホリック症候群になっていたかもしれません。月に3度、土日を利用し、大阪にセミナーを受けるために行っていたこともありました。

やはりペースを誤ったツケが回ってきて、ある朝起きると、自分が何か違う、人と話せない、マリン歯科のドアを開ける気がしない…感覚に襲われました。コレはおかしいと思い、 自分で心療内科に「変なんです。とにかく変なんです。自分が怖いんです。」と電話を掛けました。また、 「窓に腰かけて何かを見つめるサマを見て飛び降りするのでは?」とスタッフが心配し見張っていたと後から教えられたこともありました。診療は一日も休むことはありませんでしたが、表情がなくなり患者さんと話せなかったので辛い時期でした。

上記のような長い足踏みが続き、完治するまでに8年もの歳月を要してしまいました。 しかし、このことで昨今のストレス社会で精神的に病む方、前向きに動けない方に寄り添えるよう話せる術が身についたのだと思います。

無言実行。家族を支える為、12年もの単身赴任生活を続けた父を失いました
仕事に突進かと思えばうつ病と接する時間が少なかったことが心残りでしたが、素晴らしいお手本で居続けてくれました。

これは一生独身かなと思い始めた時、妻の「理代」に拾ってもらいました。

船井総研セミナーに参加。それまでの受け身の診療姿勢から、「自信を持って誇れることをしているなら知ってもらわねば、それを受けてはもらえない」と気づき、積極的システムに転換。
また、マリン歯科から何ができて、それはどういうものなのか等の情報を提供するベースも敷きました。 これにより、当院のスタッフだけではなく、患者さんや出入り業者も含め、院内は活気づいていきました。

マリン歯科の予防診療システムKMSプロジェクトを横浜市金沢区の森の中の宿泊施設でスタッフ全員で深夜まで話し合い、完成させていきました。
プロジェクトのオープニングには、居酒屋てっぺんからスタッフさんに出張で参加してもらい、パワーを注入して頂きました。

ページの先頭へ